『心即理ー王陽明前期思想の研究』 | 陽明書院

『心即理ー王陽明前期思想の研究』

『心即理ー王陽明前期思想の研究』



大場一央『心即理―王陽明前期思想の研究』汲古書院 2017
陽明学とは何か―王陽明が交わした対話全体を検討し、その思想内容をたぐりよせる!

【序章「陽明学」研究についてより】(抜粋)
陽明が体認の経路に言葉を用いたのははっきりしているのだから、その言葉によって語られた対話には、彼の工夫論の形式が存在しているはずであり、その中には、陽明が工夫を行う中で得られた実感を色濃く反映した、形式の中核をなす言葉が存在しているはずである。しかし、対話から形式だけを切り取った所で、陽明が実感した内容はそこに浮かび上がってはこない。くどいようだが、陽明が言葉に込めたのは実感であって抽象的意味ではないのである。天理や人欲、心や理という言葉にそれぞれ明確な意味が規定され、それらを組み上げた所に抽象的意味の建造物が出現する場合、言葉を探るだけでそこに抽象的意味の世界が開けてくるかもしれない。だが、言葉の存在が自己に向けるために使用されている場合、その言葉は偏に陽明自身の実感を成立根拠としているのであって、しかも陽明はそれを捨象して概念化していないのだから、どの言葉も陽明の実感へと向かう距離を示す標識に他ならないし、こうした言葉を使用している陽明の心には、彼の実感だけが想起されているのである。こうした場合は言葉に限らず、対話全体の中に彼の実感がまるごと投影されている可能性の方が極めて高いのだから、言葉を概念とそうではない言葉とで区別し、対話から引き剥がすことをせず、丁度「教条示龍場諸生」のような何の変哲もない文章に注目するような仕方で、対話全体の中から実感を探っていかねばならないのである。その中で形式は、対話全体の中で最も論理性の高い要素として、単発的な印象に堕することを防ぎつつ、対話を一貫した文脈の下に理解していくよすがとなる。
このように、陽明の実感が対話に色濃く反映されていることを心得ておくだけで、あるいは形式の理 解を超えた何ものかが見えてくるのかもしれない。私が採ろうとしているのはこうした至極単純な仕方である。

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