『大学章句』

『大学章句』書き下し

四書輪読も二巡目に入り、新しい試みとして『四書章句集注』の書き下し文を作成・公開することになりました。
以後、読書会の進捗に合わせて、少しずつ更新していきます。
まずは『大学章句』から始めます。

凡例
・異体字は原則として使用しない。送り仮名は旧仮名遣い
・二の字点「」は「々」で代用

■伝九章

所謂国を治むるには必ず先づ其の家を斉ふとは、其の家教ふ可からずして能く人に教ふる者は、之れ無し。故に君子は家を出でずして教を国に成す。孝は、君に事ふる所以なり。弟は長に事ふる所以なり。慈は、衆を使ふ所以なり。

弟は去声。長は、上声。身修まれば、則ち家教ふ可し。孝、弟、慈は、身を修めて家に教ふる所以の者なり。然り而して国の君に事へ、長に事へ、衆を使ふ所以の道は此に外ならず。此れ、家上に斉ひて、教下に成る所以なり。

康誥に曰く、「赤子を保んずるが如し」と。心誠に之を求むれば、中らずと雖も遠からず。未だ子を養ふを学びて后嫁する者は有らざるなり。

中は、去声。此れ書を引きて之を釈し、又立教の本は強ひて為すを仮らず、其の端を識りて之を推し広むるに在るを明らかにするのみ。

一家仁なれば、一国仁に興る。一家譲なれば、一国譲に興る。一人貪戻なれば、一国乱を作す。其の機此の如し。此を一言事を僨り、一人国を定むと謂ふ。

僨は、音奮。一人は、君を謂ふなり。機は、発動の由る所なり。僨は、覆敗なり。此れ教国に成るの効を言ふ。

堯、舜は天下を帥ゐるに仁を以てして、民之に従ふ。桀、紂は天下を帥ゐるに暴を以てして、民之に従ふ。其の令する所、其の好む所に反すれば、民従はず。是の故に君子は諸を己に有ちて、后に諸を人に求め、諸を己に無くして、后に諸を人に非とす。身に蔵する所恕ならずして、能く諸を人に喩す者は、未だ之れ有らざるなり。

好は、去声。此れ又、上文の一人国を定むを承けて言ふ。己に善有りて、然る後以て人の善を責む可し。己に悪無くして、然る後以て人の悪を正す可し。皆己を推して以て人に及ぼす。所謂恕なり。是の如くならざれば、則ち令する所其の好む所に反して、民従はず。喩は、暁なり。

故に国を治むるは其の家を斉ふるに在り。

上文を通じ結ぶ。

詩に云ふ、「桃の夭夭たる、其の葉蓁蓁たり。之の子の于に歸ぐ、其の家人に宜し」と。其の家人に宜しくして、后に以て国人に教ふ可し。

夭は、平声。蓁は、音臻。詩は周南桃夭の篇。夭夭は、少好の貌。蓁蓁は、美盛の貌。興なり。之子は、猶ほ是子と言ふがごとし。此れ女子の嫁する者を指して言ふなり。婦人は嫁を謂ひて帰と曰ふ。宜は、猶ほ善のごとし。

詩に云ふ、「兄に宜しく弟に宜し」と。兄に宜しく弟に宜しくして、后に以て国人に教ふ可し。

詩、小雅蓼蕭の篇。

詩に云ふ、「其の儀忒はず、是の四国を正す」と。其の父子、兄弟たること法るに足りて、后に民之に法るなり。

詩、曹風鳲鳩の篇。忒は、差なり。

此を国を治むるは其の家を斉ふるに在りと謂ふ。

此に三たび詩を引き、皆以て上文の事を詠歎して、又之を結ぶこと此の如し。其の味深長にして、最も宜しく潜玩すべし。

  右は伝の九章。家を斉へ国を治むるを釈す。
[中村裕]

■伝八章

所謂其の家を斉ふるは其の身を修むるに在りとは、人は其の親愛する所に之て辟し、其の賤悪する所に之て辟し、其の畏敬する所に之て辟し、其の哀矜する所に之て辟し、其の敖惰する所に之て辟す。故に好みて其の悪を知り、悪みて其の美を知る者は、天下に鮮し。

辟は、読みて僻と為す。悪而の悪、敖、好は、並びに去声なり。鮮は、上声なり。人は、衆人を謂ふ。之は、猶ほ於のごとし。辟は、猶ほ偏のごとし。五者は、人に在りて本有当然の則あり、然して常人の情は其の向かふ所を惟ひて審を加へざれば、則ち必ず一偏に陥りて身修まらず。

故に諺に之有りて曰く、「人は其の子の悪しきを知ること莫く、其の苗の碩いなるを知ること莫し」と。

諺は、音は彦。碩は、叶韵、時若の反。諺は、俗語なり。愛に溺るる者は明らかならず、得を貪る者は厭くこと無し、是れ則ち偏の害たりて、家の斉はざる所以なり。

此れ身の修まらざれば以て其の家を斉ふべからざるを謂ふ。

  右は伝の八章。修身斉家を釈す。
[米村]

■伝七章

所謂身を修むるは其の心を正すに在りとは、身に忿懥する所有れば、則ち其の正を得ず。恐懼する所有れば、則ち其の正を得ず。好楽する所有れば、則ち其の正を得ず。憂患する所有れば、則ち其の正を得ず。

程子曰く、「身有の身は、当に心に作るべし」と。忿は、弗粉の反。懥は、勅値の反。好・楽は、並びに去声。○忿懥は、怒なり。蓋し是の四者は、皆心の用にして、人の無きこと能はざる所の者なり。然れども一たび之有りて察すること能はざれば、則ち欲動き情勝ちて、其の用の行ふ所、或いは其の正を失はざること能はず。

心焉に在らざれば、視れども見えず。聴けども聞こえず。食らへども其の味を知らず。

心存せざること有れば、則ち以て其の身を検すること無し。是を以て君子は必ず此を察して、敬して以て之を直くす。然る後此の心常に存して、身脩まらざること無し。

此を身を修むるは其の心を正すに在りと謂ふ。

  右伝の七章。正心修身を釈す。
  
  此も亦た上章を承けて以て下章を起こす。蓋し意誠なれば、則ち真に悪無くして実に善有り。所以に能く是の心を存して以て
  其の身を検す。然れども或いは但だ意を誠にするを知りて、密に此の心の存否を察すること能はずんば、則ち又以て内を直く
  して身を修むること無し。此より以下、並びに旧文を以て正と為す。
[石川]

■伝六章

所謂其の意を誠にすとは、自ら欺く毋きなり。悪臭を悪むが如く、好色を好むが如くす。此を之れ自ら謙すと謂う。故に君子は必ず其の独を慎むなり。

悪・好の上の字は、皆去声。謙は読んで慊と為し、苦劫の反。其の意を誠にすとは、自ら修むるの首なり。毋は禁止の辞。自ら欺くと云うは、善を為して以て悪を去るを知るも、心の発する所未だ実ならざる有るなり。謙は、快なり、足なり。独とは、人の知らざる所にして、己の独り知る所の地なり。言ふこころは、自ら修めんと欲する者は、善を為して以て其の悪を去るを知れば、則ち当に実に其の力を用ひて、其の自ら欺くを禁止すべし。其の悪を悪むは則ち悪臭を悪むが如く、善を好むは則ち好色を好むが如くし、皆務めて決去して、求めて必ず之を得て、以て自ら己に快足せしむ。徒らに苟且以て外に徇ひて人の為にす可からず、と。然れども其の実と不実とは、蓋し他人の知るに及ばざる所にして、己独り之を知る者有り。故に必ず之を此に謹み、以て其の幾を審かにす。

小人間居して不善を為し、至らざる所無し。君子を見て后厭然として其の不善を揜ひて、其の善を著はす。人の己を視ること、其の肺肝を見る如く然れば、則ち何の益かあらん。此を中に誠にして外に形はると謂う。故に君子は必ず其の独を慎むなり。

間は、音閑。厭は、鄭氏読んで黶と為す。間居は、独り処るなり。厭然は、銷沮閉蔵の貌。此れ、小人の陰に不善を為して、陽に之を揜はんと欲するは、則ち是れ善の当に為すべきと、悪の当に去るべきとを知らざるには非ざるも、但実に其の力を用ふる能はずして、以て此に至るを言ふのみ。然れども其の悪を揜はんと欲するも、卒に揜ふ可からず、善を為すと詐らんと欲するも、卒に詐る可かざれば、則ち亦何の益か之れ有らんや。此れ君子の重ねて以て戒と為して、必ず其の独を謹む所以なり。

曽子曰く、「十目の視る所、十手の指す所、其れ厳なるかな」と。

此を引きて以て上文の意を明らかにす。言ふこころは、幽独の中と雖も、其の善悪の揜ふ可からざること此の如し。之を畏る可きこと甚だし、と。

富は屋を潤し、徳は身を潤す。心広く体胖かなり。故に君子は必ず其の意を誠にす。

胖は、歩丹の反。胖は、安舒なり。言ふこころは、富は則ち能く屋を潤し、徳は則ち能く身を潤す。故に心に愧怍無ければ、則ち広大寛平にして、体常に舒泰なり。徳の身を潤すこと然り、と。蓋し善の中に実ちて外に形はること此の如し。故に又此を言ひて以て之を結ぶ。

  右は伝の六章。意を誠にするを釈す。

  経に曰く、「其の意を誠にせんと欲すれば、先ず其の知を致す」と。又曰く、「知至りて后意誠なり」と。蓋し心の体の明、
  未だ尽くさざる所有れば、則ち其の発する所、必ず実に其の力を用ふる能はずして、苟焉として以て自ら欺く者有り。然れど
  も或は已に明らかなれども此に謹まざれば、則ち其の明らかなる所も又己の有に非ずして、以て徳に進むの基と為る無し。故
  此の章の指は、必ず上章を承けて通じて之を考えれば、然る後以て其の力を用ふるの始終、其の序の乱す可からずして、功の
  欠く可からざること、此の如きを見る有らんと云う。
[中村裕]

■伝五章

此れを本を知ると謂ふ、

程子の曰く「衍文なり」と。

此れを知の至りと謂ふ。

此の句の上別に闕文有り。此れ特だ其の結語のみ。

  右伝の五章、蓋し格物致知の義を釈す、今は亡し。

  此の章旧本下章に通じ、誤りて経文の下に在り。
  
  間々嘗みに窃かに程子の意を取りて以て之を補ひて曰く「所謂知を致すは物に格るに在りとは、吾の知を致さんと欲するは、
  物に即して其の理を窮むるに在るを言うなり。蓋し人心の霊は知有らざること莫くして、天下の物は理有らざること莫し、惟
  だ理に於て未だ窮めざること有り、故に其の知尽さざること有るなり。是を以て大学始めて教ふるに、必ず学者をして凡そ天
  下の物に即して、其の已に知るの理に因りて益々之を窮め、以て其の極に至らんことを求めざること莫からしむ。力を用ふる
  ことの久しくして、一旦豁然として貫通するに至れば、則ち衆物の表裏精粗到らざる無く、吾が心の全体大用明らかならざる
  無し。此れを物格ると謂ひ、此れを知の至りと謂ふなり。
[吉田]

■伝四章

子曰く、「訟を聴くは、吾猶ほ人のごとし、必ずや訟無からしめんか」と。情無き者は其の辞を尽くすことを得ず。大いに民の志を畏れしむ、此れ本を知ると謂ふ。

猶ほ人のごとしとは、人に異ならざるなり。情は、実なり。夫子の言を引きて、聖人は能く実無きの人をして敢えて其の虚誕の辞を尽くさざらしむるを言ふなり。蓋し我の明徳既に明らかなれば、自然以て民の心志を畏服せしむること有り、故に訟聴くことを待たずして自ら無し。此の言を観れば、以て本末の先後を知るべし。

  右は伝の四章。本末を釈す。

  此の章旧本には誤りて「止於信」の下に在り。
[米村]

■伝三章

詩に云ふ、「邦畿千里、惟れ民の止まる所」と。

詩は、商頌玄鳥の篇。邦畿は、王者の都なり。止は、居なり。物各当に止まるべき所の処有るを言ふ。

詩に云ふ、「緡蛮たる黄鳥、丘隅に止まる」と。子曰く、「止まるに於いて、其の止まる所を知る。人を以てして鳥に如かざるべけんや」と。

緡は、詩に綿に作る。○詩は、小雅綿蛮の篇。緡蛮は、鳥声。丘隅は、岑蔚の処。子曰以下は、孔子詩を説くの辞。人当に当に止まるべき所の処を知るべきを言ふ。

詩に云ふ、「穆穆たる文王、於緝熙敬止す」と。人君と為りては仁に止まり、人臣と為りては敬に止まり、人子と為りては孝に止まり、人父と為りては慈に止まり、国人と交はりては信に止まる。

於緝の於は、音は烏。○詩は、文王の篇。穆穆は、深遠の意。於は、歎美の辞。緝は、継続なり。熙は、光明なり。敬止は、其の敬せざること無くして止まる所に安んずるを言ふ。此を引きて、聖人の止は至善に非ざること無きを言ふ。五者は、乃ち其の目の大なる者なり。学者此に於いて、其の精微の蘊を究めて、又類を推して以て其の余りを尽くせば、則ち天下の事に於いて、皆以て其の止まる所を知りて疑ふこと無きこと有り。

詩に云ふ、「彼の淇の澳を瞻るに、菉竹猗猗たり。有斐なる君子は、切るが如く磋くが如く、琢くが如く磨くが如し。瑟たり、僩たり、赫たり、喧たり。有斐なる君子は、終に諠るべからず」と。切るが如く磋くが如しとは、学を道ふ。琢くが如く磨くが如しとは、自ら脩むるなり。瑟たり、僩たりとは、恂慄するなり。赫たり、喧たりとは、威儀あるなり。有斐なる君子は、終に諠るべからずとは、盛徳至善にして民の忘るること能はざるを道ふ。

澳は、於六の反。菉は、詩に緑に作る。猗は、叶韻して音は阿。僩は、下版の反。喧は、詩に咺に作る。諠は、詩に諼に作り、並びに況晩の反。恂は、鄭氏は読むに峻に作る。○詩は、衛風淇澳の篇。淇は、水名。澳は、隈なり。猗猗は、美盛んなる貌、興なり。斐は、文貌。切るに刀鋸を以てし、琢くに椎鑿を以てす。皆物を裁ち形質を成さしむ。磋くに鑢錫を以てし、磨くに沙石を以てす。皆物を治め其れをして滑沢ならしむ。骨角を治むる者は、既に切りて復た之を磋く。玉石を治むる者は、既に琢きて復た之を磨く。皆其の治の緒有りて益其の精を致すを言ふ。瑟は、厳密の貌。僩は、武毅の貌。赫・喧は、宣著盛大の貌。諠は、忘なり。道は、言なり。学は、講習討論の事を謂ふ。自脩とは、省察克治の功。恂慄は、戦懼なり。威は、畏るべきなり。儀は、象るべきなり。詩を引きて之を釈き、以て明徳を明らかにする者の至善に止まるを明らかにす。道学・自脩は、其の之を得る所以の由を言ふ。恂慄・威儀は、其の徳容表裏の盛んなるを言ふ。卒に乃ち其の実を指して之を歎美す。

詩に云ふ、「於戯前王の忘れられず」と。君子は其の賢を賢として其の親に親しみ、小人は其の楽を楽しみて其の利を利とす。此を以て世を没して忘れられず。

於戯、音は嗚呼。楽は、音は洛。○詩は、周頌烈文の篇。於戯は、歎辞。前王は、文・武を謂ふ。君子は、其の後賢後王を謂ふ。小人は、後民を謂ふ。此言ふこころは、前王の民を新たにする所以の者は、至善に止まり、能く天下後世をして一物も其の所を得ざること無からしむ。所以に既に世を没して人之を思慕し、愈久しくして忘れられず。此の両節は咏歎淫溢にして、其の味深長なり。当に之を熟玩すべし。

  右は伝の三章。至善に止まるを釈く。

  此の章内淇澳の詩を引くより以下、旧本誤りて誠意章の下に在り。
[石川]

■伝二章

湯の盤銘に曰く「苟に日に新たなれば、日々新たに、又日に新たなり」と。

盤は沐浴の盤なり。銘は其の器に名して以て自ら警むるの辞なり。苟は誠なり。湯は人の其の心を洗濯して以て悪を去るを、其の身を沐浴して以て垢を去るが如くなるを以てす。故に其の盤に銘す。言ふこころは誠に能く一日以て其の旧染の汚を滌いて自ら新たにすること有れば、則ち当に其の已に新たなる者に因りて、日々に之を新たにし、又日に之を新たにして、ほぼ間断有るべからず。

誥に曰く「新たにするの民を作す」と。

之を鼓し之を舞すを之作すと謂ふ。言ふこころは其の自ら新たにするの民を振い起すなり。

詩に曰く「周は旧邦と雖も、其の命維れ新たなり」と。

詩大雅文王の篇。言ふこころは周国は旧たりと雖も、文王に至りて、能く其の徳を新たにし以て民に及ぼして、始めて天命を受くるなり。

是の故に君子は其の極を用ひざる所無し。
自ら新たにし民を新たにす。皆至善に止まるを欲するなり。

  右は伝の二章。新民を釈す。
[吉田]

■伝首章

康誥に曰く、「克く徳を明らかにす」と。


康誥は、周書。克は、能なり。


大甲に曰く、「諟の天の明命を顧みる」と。


大は、読んで泰と作す。諟は、古の是の字。大甲は、商書。顧は、常目之に在るを謂ふなり。諟は、猶ほ此のごときなり。或は曰く、審なりと。天の明命は、即ち天の我に与ふる所以にして、我の徳たる所以の者なり。常目之に在れば、則ち時として明らかならざるは無し。 


帝典に曰く、「克く峻徳を明らかにす」と。


峻は、書に俊に作る。帝典は、堯典にして、虞書。峻は、大なり。


皆自ら明らかにするなり。


引く所の書を結ぶ。皆自ら己の徳を明らかにするの意を言ふ。


  右は伝の首章。明徳を明らかにするを釈す。

  此より下の三章の「止於信」に至るまでを通じて、旧本は誤りて「没世不忘」の下に在り。

[中村裕]

■経一章

大学章句

大は、旧音は泰。今は読んで字の如し。

  子程子が曰く、「大学は、孔氏の遺書にして、初学入徳の門なり。」今に於いて古人の学を為す次第を見るべき者は、
  独り此の篇の存するに頼りて、論、孟之に次ぐ。学者必ず是に由りて学べば、則ち其の差はざるに庶からん。


大学の道は、明徳を明らかにするに在り、民を親たにするに在り、至善に止まるに在り。

程子が曰く、「親は、当に新に作るべし。」大学は、大人の学なり。明は、之を明らかにするなり。明徳は、人の天に得る所にして、虚霊不昧、以て衆理を具へて万事に応ずる者なり。但だ気稟の拘はる所、人欲の蔽ふ所と為れば、則ち時として昏きこと有り、然れども其の本体の明は、則ち未だ嘗て息まざる者有り。故に学者は当に其の発する所に因りて遂に之を明らかにし、以て其の初に復すべし。新は、其の旧きを革むるの謂なり。言ふこころは既に自ら其の明徳を明らかにして、又当に推して以て人に及ぼし、之をして亦た以て旧染の汚を去ること有らしむべし。止は、必ず是に至りて遷らざるの意なり。至善は、則ち事理当然の極なり。言ふこころは明徳を明らかにし、民を新たにすることは、皆当に至善の地に至りて遷らざるべし。蓋し必ず其の以て夫の天理の極を尽くすこと有りて、一毫も人欲の私無し。此の三者は、大学の綱領なり。

止まるを知りて后定まること有り、定まりて后能く静かなり、静かにして后能く安し、安くして后能く慮る、慮りて后能く得。

后は、後と同じ。後此れに放ふ。止は、当に止まるべき所の地、即ち至善の在る所なり。之を知れば、則ち志定向有り。静は、心の妄動せざるを謂ふ。安は、処る所にして安きを謂ふ。慮は、事を処すること精詳なるを謂ふ。得は、其の止まる所を得るを謂ふ。

物に本末有り、事に終始有り、先後する所を知れば、則ち道に近し。

明徳を本と為す、新民を末と為す。止まるを知るを始めと為す、能く得るを終わりと為す。本始は先にする所、末終は後にする所なり。此れ上文の両節の意を結ぶ。

古の明徳を天下に明らかにせんと欲する者は、先ず其の国を治む、其の国を治めんと欲する者は、先ず其の家を斉ふ、其の家を斉へんと欲する者は、先ず其の身を修む、其の身を修めんと欲する者は、先ず其の心を正す、其の心を正さんと欲する者は、先ず其の意を誠にす、其の意を誠にせんと欲する者は、先ず其の知を致む、知を致むるは物に格るに在り。

治は、平声、後此れに放ふ。明徳を天下に明らかにすとは、天下の人をして皆以て其の明徳を明らかにすること有らしむなり。心は、身の主とする所なり。誠は、実なり。意は、心の発する所なり。其の心の発する所を実にするは、其の善に一にして自ら欺くこと無きを欲するなり。致は、推し極むるなり。知は、猶ほ識のごとし。吾の知識を推し極むるは、其の知る所尽くさざること無きを欲するなり。格は、至なり。物は、猶ほ事のごとし。窮めて事物の理に至るは、其の極所到らざること無きを欲するなり。此の八者は、大学の條目なり。

物格りて后知至る、知至りて后意誠なり、意誠にして后心正し、心正しくして后身修まる、身修まりて后家斉ふ、家斉ひて后国治まる、国治まりて后天下平かなり。

治は、去声、後此れに放ふ。物格るは、物理の極所到らざること無きなり。知至るは、吾が心の知る所尽くさざること無きなり。知既に尽くせば、則ち意は得て実なるべし、意既に実なれば、則ち心は得て正しかるべし。修身以上は、明明徳の事なり。斉家以下は、新民の事なり。物格り知至れば、則ち止まる所を知る。意誠以下は、則ち皆止まる所を得るの序なり。

天子より以て庶人に至るまで、壹是に皆身を修むるを以て本と為す。

壹是は、一切なり。正心以上は、皆身を修むる所以なり。斉家以下は、則ち此を挙げて之を措くのみ。

其の本乱れて末治まる者は否ず、其の厚き所の者薄ふして、其の薄き所の者厚きは、未だ之有らざるなり。

本は、身を謂ふなり。厚き所は、家を謂ふなり。此の両節は上文の両節の意を結ぶ。

  右は経の一章、蓋し孔子の言にして、曾子之を述ぶ。

  凡て二百五字。

  其の伝の十章は、則ち曾子の意にして門人之を記す。旧本は頗る錯簡有りて、今程子の定むる所に因りて、
  更に経文を考え、別して序次を為すこと左の如し。


  凡そ千五百四十六字。凡そ伝文は、経伝を雑引し、統記無きが若し、然れども文理接続し、血脈貫通し、
  深浅始終、至りて精密為り。熟読玩味し、久しくして当に見るべし。今尽くは釈せず。
[米村]

■大学章句序


  大学の書は、古の大学の人に教ふる所以の法なり。蓋し天の生民を降すよりして、則ち既に之に与ふるに仁義礼智の性を以てせざることなし。然れども其の気質の稟は或は斉しきこと能はず。一たび聡明叡智にして能く其の性を尽くす者の其の間に出づること有れば、則ち天は必ず之に命じて以て億兆の君師と為し、之をして治めて之を教へ、以て其の性に復らしむ。此れ伏羲、神農、黄帝、堯舜の天を継ぎ極を立つる所以にして、司徒の職、典楽の官の由りて設くる所なり。
  三代の隆なること、其の法寖く備はり、然る後王宮、国都より以て閭巷に及ぶまで、学の有らざることなし。人生れて八歳にして、則ち王公より以下、庶人の子弟に至るまで、皆小学に入りて、之に教ふるに灑掃、応対、進退の節、礼楽、射御、書数の文を以てす。其の十有五年に及びて、則ち天子の元子、衆子より、以て公、卿、大夫、元士の適子と、凡民の俊秀とに至るまで、皆大学に入りて、之に教ふるに窮理、正心、修己、治人の道を以てす。此れ又学校の教、大小の節の分かるる所以なり。
[米村]

   夫れ学校の設、其の広きこと此の如く、之を教ふるの術、其の次第節目の詳なること又此の如し。其の教を為す所以は、則ち又皆之を人君躬行心得の余に本づき、之を民生日用彝倫の外に求むるを待たざるを以て、是を以て当世の人学ぶばざること無し。其の焉を学ぶ者は、以てその性分の固有する所、職分の当に為すべき所を知りて、各々俛めて以て其の力を尽くすこと有らざる無し。此れ今昔盛時治は上に隆ん、俗は下に美にして、後世の能く及ぶ所に非ざる所以なり。
  周の衰ふるに及び、賢聖の君作らず、学校の政修まらず、教化陵夷し、風俗頽敗す。時に則ち孔子の聖の若き有りて、君師の位を得て以て其の政教を行はず、是に於いて独り先王の法を取りて、誦して之を伝へ後世に詔ぐ。曲礼、少儀、内則、弟子職の諸篇の若きは、固に小学の支流余裔、此の篇は則ち小学の成功に因りて以て大学の明法を著し、外は以て其の規模の大なるを極むること有り、内は以て其の節目の詳なるを尽すこと有り。三千の徒、蓋し其の説を聞かざること莫く、而して曽氏の伝独り其の宗を得、是に於いて伝義を作為して、以て其の意を発す。孟子の没するに及んで其の伝泯びたれば、則ち其の書存すと雖も知る者鮮し。
[吉田]

  是より以来、俗儒の記誦詞章の習、其の功小学に倍して用無く、異端の虚無寂滅の教、其の高きこと大学に過ぎて実無し。其の他の権謀術数、一切以て功名に就くの説と、夫の百家衆技の流と、世を惑はし民を誣ひ仁義を充塞する所以の者、又紛然として其の間に雑出す。其の君子をして不幸にして大道の要を聞くことを得ざらしめ、其の小人をして不幸にして至治の沢を蒙ることを得ざらしむ。晦盲否塞、反覆沈痼、以て五季の衰ふるに及びて、壊乱極まる。
  天運循環、往きて復らざること無し。宋徳隆盛し、治教休明たり。是に於いて河南の程子両夫子出でて、以て孟氏の伝に接すること有り。実に始めて此の篇を尊信して之を表章す。既に又之が為に其の簡編を次し、其の帰趣を発し、然る後古者大学人に教ふるの法、聖教賢伝の指、燦然として復た世に明らかなり。熹の不敏を以てすと雖も、亦幸ひに私淑して与り聞くこと有り。其の書為ること猶頗る放失なるを顧み、是を以て其の固陋を忘れ、采りて之を輯し、間亦た窃かに己の意を附し、其の闕略を補ひ、以て後の君子を俟つ。極めて僭踰にして罪を逃るる所無きを知る。然れども国家の民を化し俗を成すの意、学者の己を修め人を治むるの方に於いては、則ち未だ必ずしも小補無からずと云ふ。
  淳煕己酉二月甲子、新安朱熹
 ○虚無寂滅 「虚無」は道教、「寂滅」は仏教をさす。儒教の正統からは、これらの教えは異端として批判される。
 ○五季 五代十国の五代のこと。
 ○淳熙己酉 淳熙十六年。西暦一一八九年にあたる。時に朱子は六十歳であった。
[石川]
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