『論語集注』

『論語集注』書き下し

『大学章句』が終わりましたので、引き続き『論語集注』に入っていきます。

凡例
・異体字は原則として使用しない。送り仮名は旧仮名遣い
・二の字点「」は「々」で代用

■論語序説

史記世家に曰く、「孔子は名は丘、字は仲尼。其の先は宋人なり。父は叔梁紇、母は顔氏。魯の襄公二十二年、庚戌の歳、十一月庚子を以て、孔子を魯の昌平郷陬邑に生む。児たりしとき嬉戯して、常に俎豆を陳ね、礼容を設く。長ずるに及びて、委吏と為り、料量平なり。

 

委吏は、本は季氏史に作る。索隠(注01)に云ふ、「一本は委吏に作る、孟子と合す」と。今之に従ふ。

 

司職吏となりて、畜蕃息す。

 

職は、周礼牛人に見ゆ。読みて樴と為し、義は杙と同じ。蓋し犠牲を繁養するの所。此の官は孟子の所謂乗田(注02)なり。

 

周に適きて、礼を老子に問ひ、既に反りて、弟子益々進む。昭公の二十五年甲申、孔子年三十五にして、昭公斉に奔りて、魯乱る。是に於て斉に適き、高昭子の家臣と為りて、以て景公に通ず。

 

韶を聞く(注03)、政を問ふ(注04)の二事有り。

 

公封ずるに尼谿之田を以てせんと欲す。晏嬰可かず。公之に惑ふ。

 

季孟吾老ゆ(注05)の語有り。

 

孔子遂に行りて、魯に反る。定公の元年壬辰、孔子年四十三にして、季氏強僭し、其の臣陽虎乱を作して政を専らにす。故に孔子仕へずして、退きて詩、書、礼、楽を修め、弟子弥々衆し。九年庚子、孔子年五十一。公山不狃費を以て季氏に畔く。召す。孔子往かんと欲して、卒に行かず。

 

子路に東周を答ふ(注06)の語有り。

 

定公孔子を以て中都の宰と為し、一年にして、四方之に則る。遂に司空と為し、又大司寇と為す。十年辛丑、定公に相として斉公と夾谷に会し、斉人魯に侵地を帰す。十二年癸卯、仲由をして季氏の宰為らしめ、三都を堕ち、其の甲兵を収む。孟氏成を堕つを肯んぜず、之を囲みて克たず。十四年乙巳、孔子年五十六、相事を摂行し、少正卯を誅し、国政を与り聞く。三月にして、魯国大いに治まる。斉人女楽を帰りて以て之を沮み、季桓子之を受く。郊又膰俎を大夫に致さず、孔子行る。

 

魯の世家は此を以て以上は皆十二年の事と為す。

 

衛に適き、子路の妻兄の顔濁鄒の家に主る。

 

孟子に顔讐由に作る。

 

陳に適き、匡を過ぐ。匡人陽虎と以為ひて之を拘す。

 

顔淵後る(注07)及び文王既に没す(注08)の語有り。

 

既に解きて、衛に還る。蘧伯玉の家に主り、南子に見ゆ。

 

子路に矢ふ(注09)及び未だ徳を好むものを見ず(注10)の語有り。

 

去りて宋に適く。司馬桓魋之を殺さんと欲す。

 

天徳を生す(注11)の語及び微服して宋を過ぐ(注12)の事有り。

 

又去りて陳に適き、司城貞子の家に主る。居ること三歳にして衛に反り、霊公用ふること能はず。

 

三年にして成すこと有り(注13)の語有り。

 

晋の趙氏の家臣佛肸中牟を以て畔き、孔子を召す。孔子往かんと欲して、亦果たさず。

 

子路に堅白を答ふの語(注14)及び簣を荷いて門を過ぐ(注15)の事あり。

 

将に西して趙簡子に見へんとして、河に至りて反り、又蘧伯玉の家に主る。霊公陳を問ふ、対へずして行り、復た陳に如く。

 

論語に拠れば、則ち絶糧当に此の時に在るべし。

 

季桓子卒す。遺言して康子に必ず孔子を召せと謂ふ。其の臣之を止め、康子乃ち冉求を召す。

 

史記は論語の帰與の嘆(注16)を以て此の時に在りと為す。又孟子記す所の嘆辞を以て司城貞子に主る時の語と為す。疑ふらくは然らず。蓋し語孟記す所は、本皆此の一時の語にして、記す所に異同有るのみ。

 

孔子蔡及び葉に如く。

 

葉公問答し子路対へず(注17)、沮溺耦耕す(注18)、蓧を荷せる丈人(注19)等の事有り。史記に云ふ、「是に於て楚の昭王人をして孔子を聘せしむ。孔子将に往きて拝礼せんとして、陳蔡の大夫徒を発して之を囲む。故に孔子陳蔡の間に絶糧す」と。慍見(注20)及び子貢に一貫を告ぐる(注21)の語有り。按ずるに、是の時陳蔡の臣楚に服す。若し楚王孔子を来聘せば、陳蔡の大夫安くんぞ敢て之を囲まん。且つ論語に拠るに、絶糧当に衛を去り陳に如くの時に在るべし。

 

楚の昭王将に書社の地を以て孔子を封ぜんとし、令尹子西可かず、乃ち止む。

 

史記に云ふ、「書社の地七百里」と。恐らくは此の理無し。時に則ち接輿の歌(注22)有り。

 

又衛に反る。時に霊公已に卒す。衛君輒孔子を得て政を為さんと欲す。

 

魯衛兄弟(注23)、及び子貢に夷斉を(注24)、子路に正名を(注25)答ふるの語有り。

 

而して冉求季氏の将と為りて、斉と戦ひて功有り。康子乃ち孔子を召して、孔子魯に帰る。実に哀公の十一年丁巳にして、孔子年六十八なり。

 

哀公及び康子に答ふる(注26)の語有り。

 

然れども魯終に孔子を用ふること能はず、孔子も亦仕ふることを求めず。乃ち書伝、礼記を叙し、

 

杞宋(注27)、損益(注28)、従周(注29)等の語有り。

 

詩を刪り楽を正し、

 

大師(注30)及び楽正(注31)に語るの語有り。

 

易彖、繋、象、卦、文言を序す。

 

我に数年を仮す(注32)の語有り。

 

弟子は蓋し三千、身六芸に通ずる者七十二人なり。

 

弟子は顔回最も賢なり、蚤死す。後惟だ曾参のみ孔子の道を伝ふることを得。

 

十四年庚申、魯西に狩して麟を獲。

 

我を知る莫し(注33)の嘆有り。

 

孔子春秋を作る。

 

我を知り我を罪す(注34)等の語有り。論語陳恒を討たんことを請ふ(注35)の事も、亦是の年に在り。

 

明年辛酉、子路衛に死す。十六年壬戌、四月己丑、孔子卒す。年七十三。魯の城北泗の上に葬る。弟子皆心喪に服すること三年にして去る。惟だ子貢冢上に廬すること、凡そ六年。孔子鯉を生む、字は伯魚、先んじて卒す。伯魚仍を生む、字は子思、中庸を作る」と。

 

子思曾氏に学びて、孟子業を子思の門人に受く。

 

何氏曰く、「魯論語二十篇。斉論語別に問王、知道有りて、凡そ二十二篇、其の二十篇中の章句、頗る魯論より多し。古論孔子の壁中より出でて、堯曰の下章子張問を分けて以て一篇と為し、両子張有り、凡そ二十一篇、篇次斉魯論と同じからず」と。

 

程子曰く、「論語の書、有子曾子の門人に成る。故に其の書独り二子のみ子を以て称す」と。

程子曰く、「論語を読むに、読み了りて全然事無き者有り、読み了りて後其の中一両句を得て喜ぶ者有り、読み了りて後之を好むを知る者有り、読み了りて後直だ手の之を舞ひ足の之を踏むを知らざること有る者有り」と。

程子曰く、「今の人読書を会せず。論語を読むが如き、未だ読まざる時是れ此れ等の人、読み了りて後又是れ此れ等の人、便ち是曾て読まず」と。

程子曰く、「頤十七八より論語を読み、当時已に文義を暁る。之を読むこと愈々久しくして、但意味深長なるを覚ゆ」と。

 

注01 唐の司馬貞が著した『史記』の注釈書。
注02 魯において家畜の飼育を行う官吏の名称。孟子万章章句下・
注03 『論語』述而第七・13章(以下、論語からの引用については書名省略)
注04 顔淵第十二・11章       注05 微子第十八・03章       注06 陽貨第十七・05章
注07 先進第十一・22章       注08 子罕第九・05章        注09 雍也第六・26章
10 衛霊公第十五・12章      注11 述而第七・22章        注12 『孟子』万章章句上・08章
13 子路第十三・10章       注14 陽貨第十七・07章       注15 憲問第十四・42章
16 公冶長第五・21章       注17 述而第七・18章        注18 微子第十八・06章
19 微子第十八・07章       注20 衛霊公第十五・01章      注21 衛霊公第十五・02章
22 微子第十八・05章       注23 子路第十三・07章       注24 述而第七・14章
25 子路第十三・03章       注26 為政第二・19章、20章     注27 八佾第三・09章
28 為政第二・23章        注29 八佾第三・14章        注30 八佾第三・23章
31 子罕第九・14章        注32 述而第七・16章        注33 憲問第十四・37章
34 『孟子』滕文公章句下・09章  注35 憲問第十四・22章

[米村]

■論語・孟子を読むの法

論語・孟子を読むの法

清仿宋大字本に拠り補ふ。

程子曰く、「学者は当に論語・孟子を以て本と為すべし。論語・孟子既に治まれば、則ち六経は治めずして明らかなるべし。書を読む者は、当に聖人の経を作す所以の意と、聖人の心を用ふる所以と、聖人の聖人に至る所以にして、吾の未だ至らざる所以の者、未だ得ざる所以の者を観るべし。句句之を求め、昼誦して之を味はひ、中夜之を思ひ、其の心を平らかにし、其の気を易くし、其の疑はしきを闕けば、則ち聖人の意見るべし」と。
程子曰く、「凡そ文字を看るに、先づ其の文義を暁るを須ちて、然る後以て其の意を求むべし。未だ文義を暁らずして意を見る者有らざるなり」と。
程子曰く、「学者は、論語中諸弟子の問ふ処を将て便ち自己の問と作し、聖人の答ふる処は便ち今日の耳聞と作すを須ちて、自然得ること有り。孔孟復た生まるると雖も、此を以て人に教ふるに過ぎず。若し能く語孟中に於いて深求玩味し、将来涵養し成せば、甚なる気質を生ぜん」と。
程子曰く、「凡そ語孟を看るに、且く須く熟読玩味すべし。須く聖人の言語を将て己に切にすべし。只だ一場話と作し説ふべからず。人只だ二書を看得ること己に切なれば、終身儘く多し」と。
程子曰く、「論孟は只だ剰して読めば、便ち自ら意足る。学者は須く是れ玩味すべし。若し語言を以て解すれば、意便ち足りず」と。
或ひと問ふ、「且く論孟の緊要なる処を将て看るは如何」と。程子曰く、「固より是れ好し。但だ終に是れ浹洽せざるのみ」と。
程子曰く、「孔子の言語、句句是れ自然。孟子の言語、句句是れ事実」と。
程子曰く、「学者先づ論語・孟子を読むこと、尺度権衡の如く相似、此を以て去きて事物を量度すれば、自然長短軽重を見得る」と。
程子曰く、「論語・孟子を読みて道を知らざるは、所謂多しと雖も亦た奚をか以て為さんや」と。
[石川]

■学而第一 01章

学而第一

此れ書の首篇為り。故に記す所、本を務むるの意多し。乃ち道に入るの門、徳を積むの基にして、学者の先務なり。凡そ十六章。

子曰く、学びて時に之を習ふ、亦説ばしからずや。

説は、悦と同じ。〇学の言為る効なり。人の性は皆善にして、覚に先後有り。後覚者は必ず先覚の為す所に効へば、乃ち以て善を明らかにして、其の初に復るべし。習は、鳥の数々飛ぶなり。之を学びて已まざるは、鳥の数々飛ぶが如し。説は、喜ぶの意なり。既に学びて、又時時に之を習へば、則ち学ぶ所の者熟して、中心に喜説し、其の進むこと自ら已む能はざるなり。程子曰く、「習は重ねて習ふなり。時に復た思繹して、中に浹洽すれば、則ち説ぶなり」と。又曰く、「学者は将に以て之を行はんとするなり。時に之を習へば、則ち学ぶ所の者我に在り。故に説ぶ」と。謝氏曰く、「時に習ふとは、時として習はざること無し。坐して尸の如しとは、坐して時に習ふなり。立ちて斉の如しとは、立ちて時に習ふなり」と。

朋有り遠方より来たる、亦楽しからずや。

楽は、音洛。〇朋は、同類なり。遠方より来たれば、則ち近者知るべし。程子曰く、「善を以て人に及ぼせば、信じ従ふ者衆し。故に楽しむべし」と。又曰く、「説は心に在り。楽は発散するを主として外に在り」と。

人知らずして愠らず、亦君子ならずや。

愠は、紆問の反。〇愠は、怒を含むの意。君子は、成徳の名。尹氏曰く、「学は己に在り。知ると知らざるとは人に在り。何の愠りか之れ有らん」と。程子曰く、「人に及ぼすを楽しむと雖も、是とせられずして悶ゆる無きは、乃ち所謂君子なり」と。愚謂へらく、人に及ぼして楽しむは、順にして易し。知られずして愠らざるは、逆にして難し。故に惟成徳者のみ之を能くす。然れども徳の成る所以は、亦学の正しく、習の熟し、説の深くして、已まずと曰ふのみ。〇程子曰く「楽は説に由りて後に得。楽しむに非ざれば、以て君子を語るに足らず」と。
[中村裕]
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