『論語集注』

『論語集注』書き下し

『大学章句』が終わりましたので、引き続き『論語集注』に入っていきます。

凡例
・異体字は原則として使用しない。送り仮名は旧仮名遣い
・二の字点「」は「々」で代用

■論語序説

史記世家に曰く、「孔子は名は丘、字は仲尼。其の先は宋人なり。父は叔梁紇、母は顔氏。魯の襄公二十二年、庚戌の歳、十一月庚子を以て、孔子を魯の昌平郷陬邑に生む。児たりしとき嬉戯して、常に俎豆を陳ね、礼容を設く。長ずるに及びて、委吏と為り、料量平なり。

 

委吏は、本は季氏史に作る。索隠(注01)に云ふ、「一本は委吏に作る、孟子と合す」と。今之に従ふ。

 

司職吏となりて、畜蕃息す。

 

職は、周礼牛人に見ゆ。読みて樴と為し、義は杙と同じ。蓋し犠牲を繁養するの所。此の官は孟子の所謂乗田(注02)なり。

 

周に適きて、礼を老子に問ひ、既に反りて、弟子益々進む。昭公の二十五年甲申、孔子年三十五にして、昭公斉に奔りて、魯乱る。是に於て斉に適き、高昭子の家臣と為りて、以て景公に通ず。

 

韶を聞く(注03)、政を問ふ(注04)の二事有り。

 

公封ずるに尼谿之田を以てせんと欲す。晏嬰可かず。公之に惑ふ。

 

季孟吾老ゆ(注05)の語有り。

 

孔子遂に行りて、魯に反る。定公の元年壬辰、孔子年四十三にして、季氏強僭し、其の臣陽虎乱を作して政を専らにす。故に孔子仕へずして、退きて詩、書、礼、楽を修め、弟子弥々衆し。九年庚子、孔子年五十一。公山不狃費を以て季氏に畔く。召す。孔子往かんと欲して、卒に行かず。

 

子路に東周を答ふ(注06)の語有り。

 

定公孔子を以て中都の宰と為し、一年にして、四方之に則る。遂に司空と為し、又大司寇と為す。十年辛丑、定公に相として斉公と夾谷に会し、斉人魯に侵地を帰す。十二年癸卯、仲由をして季氏の宰為らしめ、三都を堕ち、其の甲兵を収む。孟氏成を堕つを肯んぜず、之を囲みて克たず。十四年乙巳、孔子年五十六、相事を摂行し、少正卯を誅し、国政を与り聞く。三月にして、魯国大いに治まる。斉人女楽を帰りて以て之を沮み、季桓子之を受く。郊又膰俎を大夫に致さず、孔子行る。

 

魯の世家は此を以て以上は皆十二年の事と為す。

 

衛に適き、子路の妻兄の顔濁鄒の家に主る。

 

孟子に顔讐由に作る。

 

陳に適き、匡を過ぐ。匡人陽虎と以為ひて之を拘す。

 

顔淵後る(注07)及び文王既に没す(注08)の語有り。

 

既に解きて、衛に還る。蘧伯玉の家に主り、南子に見ゆ。

 

子路に矢ふ(注09)及び未だ徳を好むものを見ず(注10)の語有り。

 

去りて宋に適く。司馬桓魋之を殺さんと欲す。

 

天徳を生す(注11)の語及び微服して宋を過ぐ(注12)の事有り。

 

又去りて陳に適き、司城貞子の家に主る。居ること三歳にして衛に反り、霊公用ふること能はず。

 

三年にして成すこと有り(注13)の語有り。

 

晋の趙氏の家臣佛肸中牟を以て畔き、孔子を召す。孔子往かんと欲して、亦果たさず。

 

子路に堅白を答ふの語(注14)及び簣を荷いて門を過ぐ(注15)の事あり。

 

将に西して趙簡子に見へんとして、河に至りて反り、又蘧伯玉の家に主る。霊公陳を問ふ、対へずして行り、復た陳に如く。

 

論語に拠れば、則ち絶糧当に此の時に在るべし。

 

季桓子卒す。遺言して康子に必ず孔子を召せと謂ふ。其の臣之を止め、康子乃ち冉求を召す。

 

史記は論語の帰與の嘆(注16)を以て此の時に在りと為す。又孟子記す所の嘆辞を以て司城貞子に主る時の語と為す。疑ふらくは然らず。蓋し語孟記す所は、本皆此の一時の語にして、記す所に異同有るのみ。

 

孔子蔡及び葉に如く。

 

葉公問答し子路対へず(注17)、沮溺耦耕す(注18)、蓧を荷せる丈人(注19)等の事有り。史記に云ふ、「是に於て楚の昭王人をして孔子を聘せしむ。孔子将に往きて拝礼せんとして、陳蔡の大夫徒を発して之を囲む。故に孔子陳蔡の間に絶糧す」と。慍見(注20)及び子貢に一貫を告ぐる(注21)の語有り。按ずるに、是の時陳蔡の臣楚に服す。若し楚王孔子を来聘せば、陳蔡の大夫安くんぞ敢て之を囲まん。且つ論語に拠るに、絶糧当に衛を去り陳に如くの時に在るべし。

 

楚の昭王将に書社の地を以て孔子を封ぜんとし、令尹子西可かず、乃ち止む。

 

史記に云ふ、「書社の地七百里」と。恐らくは此の理無し。時に則ち接輿の歌(注22)有り。

 

又衛に反る。時に霊公已に卒す。衛君輒孔子を得て政を為さんと欲す。

 

魯衛兄弟(注23)、及び子貢に夷斉を(注24)、子路に正名を(注25)答ふるの語有り。

 

而して冉求季氏の将と為りて、斉と戦ひて功有り。康子乃ち孔子を召して、孔子魯に帰る。実に哀公の十一年丁巳にして、孔子年六十八なり。

 

哀公及び康子に答ふる(注26)の語有り。

 

然れども魯終に孔子を用ふること能はず、孔子も亦仕ふることを求めず。乃ち書伝、礼記を叙し、

 

杞宋(注27)、損益(注28)、従周(注29)等の語有り。

 

詩を刪り楽を正し、

 

大師(注30)及び楽正(注31)に語るの語有り。

 

易彖、繋、象、卦、文言を序す。

 

我に数年を仮す(注32)の語有り。

 

弟子は蓋し三千、身六芸に通ずる者七十二人なり。

 

弟子は顔回最も賢なり、蚤死す。後惟だ曾参のみ孔子の道を伝ふることを得。

 

十四年庚申、魯西に狩して麟を獲。

 

我を知る莫し(注33)の嘆有り。

 

孔子春秋を作る。

 

我を知り我を罪す(注34)等の語有り。論語陳恒を討たんことを請ふ(注35)の事も、亦是の年に在り。

 

明年辛酉、子路衛に死す。十六年壬戌、四月己丑、孔子卒す。年七十三。魯の城北泗の上に葬る。弟子皆心喪に服すること三年にして去る。惟だ子貢冢上に廬すること、凡そ六年。孔子鯉を生む、字は伯魚、先んじて卒す。伯魚仍を生む、字は子思、中庸を作る」と。

 

子思曾氏に学びて、孟子業を子思の門人に受く。

 

何氏曰く、「魯論語二十篇。斉論語別に問王、知道有りて、凡そ二十二篇、其の二十篇中の章句、頗る魯論より多し。古論孔子の壁中より出でて、堯曰の下章子張問を分けて以て一篇と為し、両子張有り、凡そ二十一篇、篇次斉魯論と同じからず」と。

 

程子曰く、「論語の書、有子曾子の門人に成る。故に其の書独り二子のみ子を以て称す」と。

程子曰く、「論語を読むに、読み了りて全然事無き者有り、読み了りて後其の中一両句を得て喜ぶ者有り、読み了りて後之を好むを知る者有り、読み了りて後直だ手の之を舞ひ足の之を踏むを知らざること有る者有り」と。

程子曰く、「今の人読書を会せず。論語を読むが如き、未だ読まざる時是れ此れ等の人、読み了りて後又是れ此れ等の人、便ち是曾て読まず」と。

程子曰く、「頤十七八より論語を読み、当時已に文義を暁る。之を読むこと愈々久しくして、但意味深長なるを覚ゆ」と。

 

注01 唐の司馬貞が著した『史記』の注釈書。
注02 魯において家畜の飼育を行う官吏の名称。孟子万章章句下・
注03 『論語』述而第七・13章(以下、論語からの引用については書名省略)
注04 顔淵第十二・11章       注05 微子第十八・03章       注06 陽貨第十七・05章
注07 先進第十一・22章       注08 子罕第九・05章        注09 雍也第六・26章
10 衛霊公第十五・12章      注11 述而第七・22章        注12 『孟子』万章章句上・08章
13 子路第十三・10章       注14 陽貨第十七・07章       注15 憲問第十四・42章
16 公冶長第五・21章       注17 述而第七・18章        注18 微子第十八・06章
19 微子第十八・07章       注20 衛霊公第十五・01章      注21 衛霊公第十五・02章
22 微子第十八・05章       注23 子路第十三・07章       注24 述而第七・14章
25 子路第十三・03章       注26 為政第二・19章、20章     注27 八佾第三・09章
28 為政第二・23章        注29 八佾第三・14章        注30 八佾第三・23章
31 子罕第九・14章        注32 述而第七・16章        注33 憲問第十四・37章
34 『孟子』滕文公章句下・09章  注35 憲問第十四・22章

[米村]

■論語・孟子を読むの法

論語・孟子を読むの法

清仿宋大字本に拠り補ふ。

程子曰く、「学者は当に論語・孟子を以て本と為すべし。論語・孟子既に治まれば、則ち六経は治めずして明らかなるべし。書を読む者は、当に聖人の経を作す所以の意と、聖人の心を用ふる所以と、聖人の聖人に至る所以にして、吾の未だ至らざる所以の者、未だ得ざる所以の者を観るべし。句句之を求め、昼誦して之を味はひ、中夜之を思ひ、其の心を平らかにし、其の気を易くし、其の疑はしきを闕けば、則ち聖人の意見るべし」と。
程子曰く、「凡そ文字を看るに、先づ其の文義を暁るを須ちて、然る後以て其の意を求むべし。未だ文義を暁らずして意を見る者有らざるなり」と。
程子曰く、「学者は、論語中諸弟子の問ふ処を将て便ち自己の問と作し、聖人の答ふる処は便ち今日の耳聞と作すを須ちて、自然得ること有り。孔孟復た生まるると雖も、此を以て人に教ふるに過ぎず。若し能く語孟中に於いて深求玩味し、将来涵養し成せば、甚なる気質を生ぜん」と。
程子曰く、「凡そ語孟を看るに、且く須く熟読玩味すべし。須く聖人の言語を将て己に切にすべし。只だ一場話と作し説ふべからず。人只だ二書を看得ること己に切なれば、終身儘く多し」と。
程子曰く、「論孟は只だ剰して読めば、便ち自ら意足る。学者は須く是れ玩味すべし。若し語言を以て解すれば、意便ち足りず」と。
或ひと問ふ、「且く論孟の緊要なる処を将て看るは如何」と。程子曰く、「固より是れ好し。但だ終に是れ浹洽せざるのみ」と。
程子曰く、「孔子の言語、句句是れ自然。孟子の言語、句句是れ事実」と。
程子曰く、「学者先づ論語・孟子を読むこと、尺度権衡の如く相似、此を以て去きて事物を量度すれば、自然長短軽重を見得る」と。
程子曰く、「論語・孟子を読みて道を知らざるは、所謂多しと雖も亦た奚をか以て為さんや」と。
[石川]

■学而第一 01章

学而第一

此れ書の首篇為り。故に記す所、本を務むるの意多し。乃ち道に入るの門、徳を積むの基にして、学者の先務なり。凡そ十六章。

子曰く、学びて時に之を習ふ、亦説ばしからずや。

説は、悦と同じ。〇学の言為る効なり。人の性は皆善にして、覚に先後有り。後覚者は必ず先覚の為す所に効へば、乃ち以て善を明らかにして、其の初に復るべし。習は、鳥の数々飛ぶなり。之を学びて已まざるは、鳥の数々飛ぶが如し。説は、喜ぶの意なり。既に学びて、又時時に之を習へば、則ち学ぶ所の者熟して、中心に喜説し、其の進むこと自ら已む能はざるなり。程子曰く、「習は重ねて習ふなり。時に復た思繹して、中に浹洽すれば、則ち説ぶなり」と。又曰く、「学者は将に以て之を行はんとするなり。時に之を習へば、則ち学ぶ所の者我に在り。故に説ぶ」と。謝氏曰く、「時に習ふとは、時として習はざること無し。坐して尸の如しとは、坐して時に習ふなり。立ちて斉の如しとは、立ちて時に習ふなり」と。

朋有り遠方より来たる、亦楽しからずや。

楽は、音洛。〇朋は、同類なり。遠方より来たれば、則ち近者知るべし。程子曰く、「善を以て人に及ぼせば、信じ従ふ者衆し。故に楽しむべし」と。又曰く、「説は心に在り。楽は発散するを主として外に在り」と。

人知らずして愠らず、亦君子ならずや。

愠は、紆問の反。〇愠は、怒を含むの意。君子は、成徳の名。尹氏曰く、「学は己に在り。知ると知らざるとは人に在り。何の愠りか之れ有らん」と。程子曰く、「人に及ぼすを楽しむと雖も、是とせられずして悶ゆる無きは、乃ち所謂君子なり」と。愚謂へらく、人に及ぼして楽しむは、順にして易し。知られずして愠らざるは、逆にして難し。故に惟成徳者のみ之を能くす。然れども徳の成る所以は、亦学の正しく、習の熟し、説の深くして、已まずと曰ふのみ。〇程子曰く「楽は説に由りて後に得。楽しむに非ざれば、以て君子を語るに足らず」と。
[中村裕]

■学而第一 02章

有子曰く、「其の人と為りや孝弟にして、上を犯すことを好む者は鮮し。上を犯すことを好まずして、乱を作すことを好む者は、未だ之有らざるなり。

弟、好は皆去声。鮮は上声。下同じ。〇有子は孔子の弟子、名は若。善く父母に事ふるを孝と為す、善く兄長に事ふるを弟と為す。上を犯すは、上に在るの人を干犯するを謂ふ。鮮は少なり。乱を作すは、則ち悖逆争闘の事を為すなり。此れ言ふこころは、人能く孝弟なれば、則ち其の心和順にして、上を犯すを好むこと少なければ、必ず乱を作すことを好まざるなり。

君子は本を務む。本立ちて道生ず。孝弟なる者は、其れ仁を為すの本か」と。

与は平声。〇務は力を専らにするなり。本は猶ほ根のごとし。仁は愛の理、心の徳なり。仁を為すは、猶ほ仁を行ふと曰ふがごとし。與は疑辞。謙退して敢へて質言せざるなり。言ふこころは、君子は凡事専ら力を根本に用ふ。根本既に立てば、則ち其の道自ら生ず。上文の所謂孝弟の若きは、乃ち是れ仁を為すの本。学者此れを務むれば、則ち仁道此れより生ず。〇程子曰く、「孝弟は順徳なり。故に上を犯すことを好まず。豈に復た理に逆らひ常を乱すの事有らん。徳は本有り。本立てば則ち其の道充大す。孝弟家に行はれて、而して後に仁愛物に及ぶ。所謂親を親として民に仁するなり。故に仁を為すは孝弟を以て本と為す。性を論ずれば、則ち仁を以て孝弟の本と為す」と。或ひと問ふ、「孝弟は仁を為すの本なれば、此れは是れ孝弟に由りて以て仁に至るべきか否か」と。曰く、「非なり。仁を行ふは孝弟より始むるを謂ふ。孝弟は是れ仁の一事なり。之を仁を行ふの本と謂へば則ち可なり。是れ仁の本と謂へば則ち不可なり。蓋し仁は是れ性なり。孝弟は是れ用なり。性の中は只箇の仁、義、礼、智の四者有るのみ。曷ぞ嘗て孝弟有り来たらん。然れども仁は愛を主とし、愛は親を愛するより大なるは莫し。故に曰く、『孝弟なる者は、其れ仁を為すの本か』と」と。
[米村]

■学而第一 03章

子曰く、「巧言令色、鮮なし仁」と。

巧は、好なり。令は、善なり。其の言を好くし、其の色を善くし、飾りを外に致して、務むるに人を悦ばすを以てすれば、則ち人欲肆にして本心の徳亡ぶ。聖人の辞迫切ならず。専ら鮮なしと言へば、則ち絶えて無きこと知るべし。学者の当に深く戒むべき所なり。〇程子曰く、「巧言令色の仁に非ざるを知れば、則ち仁を知る」と。
[石川]

■学而第一 04章

曾子曰く、「吾日に三たび吾が身を省みる。人の為に謀りて忠ならざるか。朋友と交はりて信ならざるか。伝へられて習はざるか」と。

省は、悉井の反。為は、去声。伝は、平声。〇曾子は、孔子の弟子。名は参、字は子輿。己を尽くすを之れ忠と謂ふ。実を以てするを之れ信と謂ふ。伝は、之を師より受くるを謂ふ。習は、之を己に熟するを謂ふ。曾子は此の三者を以て日々其の身を省みて、有れば則ち之を改め、無ければ則ち加へて勉む。其の自ら治むるの誠切なること此くの如し。学を為すの本を得と謂ふべし。而れども三者の序は、則ち又忠信を以て伝習の本と為す。〇尹氏曰く、「曾子は守約。故に動れば必ず諸を身に求む」と。謝氏曰く、「諸子の学、皆聖人より出で、其の後愈々遠くして愈々其の真を失ふ。独り曾子の学のみ、専ら心を内に用ふ。故に之を伝えて弊無し。子思・孟子を観れば見るべし。惜しいかな。其の嘉言善行、尽くは世に伝はらず。其の幸ひに存して未だ泯びざる者は、学者其れ心を尽くさざるべけんや」と。
[石川]

■学而第一 05章

子曰く、「千乗の国を道びくに、事を敬して信、用を節して人を愛し、民を使ふに時を以てす」と。

道、乗は、皆去声。〇道は、治なり。馬氏云ふ、「八百家車一乗を出す」と。千乗は、諸侯の国、其の地兵車千乗を出すべき者なり。敬とは、主一無適の謂なり。事を敬して信とは、其の事を敬して民に信あるなり。時は、農隙の時を謂ふ。言ふこころは治国の要は、此の五者に在り。亦た本を務むるの意なり。〇程子曰く、「此の言至りて浅し。然れども当時の諸侯果たして此れを能くすれば、亦た以て其の国を治むるに足れり。聖人の言は至近と雖も、上下皆通ず。此の三言は、若し其の極を推せば、堯舜の治も亦た此れに過ぎず。常人の近きを言ふが若きは、則ち浅近なるのみ」と。楊子(注1)曰く、「上敬せざれば則ち下慢り、信あらざれば則ち下疑ふ。下慢りて疑へば、事立たず。事を敬して信にして、身を以て之に先んずるなり。易に曰く、『節するに制度を以てすれば、財を傷らず、民を害はず』と(注2)。蓋し用を侈にすれば則ち財を傷り、財を傷れば必ず民を害ふに至る。故に民を愛するは必ず用を節するを先とす。然れども之を使ふに其の時を以てせざれば、則ち本を力むる者自ら尽くすことを獲ず、人を愛するの心有りと雖も、而れども人其の沢を被らず。然れども此れ特だ其の存する所を論ずるのみ。未だ政を為すに及ばざるなり。苟も是の心無ければ、則ち政有りと雖も、行はれず」。と。胡氏(注3)曰く、「凡そ此の数者は、又皆敬を以て主と為す」と。愚謂く五者反復して相因り、各次第有り。読者宜しく之を細推すべし。

注1 楊時(1053-1135)。北宋末の儒者。二程子の高弟。東林学院を設立して二程子の正統を継いだ。
注2 周易下経・水沢節彖伝
注3 胡安国(1074-1138)。北宋末の儒者。二程子の高弟。『春秋伝』を著し、「湖南学派」を創始。
[米村]

■学而第一 06章

子曰く、「弟子入りては則ち孝、出でては則ち弟、謹みて信、汎く衆を愛して仁に親しみ、行ひて余力あれば、則ち以て文を学ぶ」と。

弟子の弟は、上声。則弟の弟は、去声。〇謹とは、行の常有るなり。信とは、言の実有るなり。汎は、広なり。衆は、衆人を謂ふ。親は、近なり。仁は、仁者を謂ふ。余力は、猶ほ暇日と言ふがごとし。以は、用なり。文は、詩書六芸の文を謂ふ。〇程子曰く、「弟子の職を為して、力余り有れば、則ち文を学ぶ。其の職を修めずして文を先にするは、己の為にするの学に非ず」と。尹氏曰く、「徳行は本なり。文芸は末なり。其の本末を窮め、先後する所を知れば、以て徳に入るべし」と。洪氏の曰く、「未だ余力有らずして文を学べば、則ち文其の質を滅ぼす。余力有りて文を学ばざれば、則ち質勝ちて野」と。愚謂へらく、力行して文を学ばざれば、則ち以て聖賢の成法を考へ、事理の当然を識ること無くして、行ふ所或いは私意に出づ。但だに之を野に失ふのみに非ず。
[石川]

■学而第一 07章

子夏曰く、「賢を賢として色に易へ、父母に事へて能く其の力を竭し、君に事へて能く其の身を致し、朋友と交はりて言ひて信有り。未だ学ばずと曰ふと雖も、吾は必ず之を学びたりと謂はん」と。

子夏は、孔子の弟子。姓は卜、名は商。人の賢を賢として、其の色を好むの心に易へるは、善を好むこと誠有るなり。致は、猶ほ委のごとし。其の身を委致するは、其の身有らざるを謂ふなり。四者は皆人倫の大なる者にして、之を行ひては必ず其の誠を尽くす。学は是くの如きを求むるのみ。故に子夏言へらく、能く是くの如き人有れば、苟も生質の美に非ざれば、必ず其れ学を務むるの至りなり。或ひは以て未だ嘗て学を為さずと為すと雖も、我は必ず之を已に学びたりと謂ふなり。〇游氏(注1)曰く、「三代の学は、皆人倫を明らかにする所以なり。是の四者を能くすれば、則ち人倫に於て厚し。学の道為るや、何を以てか此れに加へん。子夏文学を以て名あり。而して其の言此くの如ければ、則ち古人の所謂学なる者知るべし。故に学而一篇、大抵皆本を務むるに在り」と。呉氏(注2)曰く、「子夏の言、其の意善し。然れども辞気の間、抑揚太だ過ぐ。其の流の弊、将に或ひは学を廃するに至らんとす。必ず上章の夫子の言の若くして、然る後弊無しと為す」と。

注1 游酢(1053-1123)。北宋末の儒者。二程子の高弟。兄・醇と共に文行を以て知られる。著作に『易説』ほか。
注2 呉棫(1100-1154)。南宋初の学者。音韻学の大家。『韻補』を著す。
[米村]

学而第一 08章

子曰く、「君子は重からざれば則ち威あらず、学べば則ち固ならず。

重は、厚重。威は、威厳。固は、堅固なり。外に軽き者は、必ず内に堅きこと能はず。故に厚重ならざれば、則ち威厳無くして、学ぶ所も亦た堅固ならざるなり。

忠信を主とし、

人として忠信ならざれば、則ち事、皆実無し。悪を為すは則ち易く、善を為すは則ち難し。故に学者は必ず是を以て主と為す。程子曰く、「人道は唯だ忠信に在り。誠ならざれば則ち物無し。且つ出入時無く、其の郷を知ること莫きは、人心なり。若し忠信無ければ、豈に復た物有らんや」と。

己に如かざる者を友とする無かれ。

無は、毋に通じ、禁止の辞なり。友は仁を輔くる所以なり。己に如かざれば、則ち益無くして損有り。

過ちては則ち改むるに憚かること勿かれ」と。

勿は、亦た禁止の辞。憚は、難を畏るるなり。自ら治むること勇ならざれば、則ち悪は日に長ず。故に過ち有れば則ち当に速やかに改むべし。難を畏れて苟しくも安んずべからざるなり。程子曰く、「学問の道は他無し。其の不善を知れば、則ち速やかに改め以て善に従ふのみ」と。○程子曰く、「君子自ら修むるの道は、当に是の如くなるべし」と。游氏曰く、「君子の道は、威重を以て質と為して、学以て之を成す。学の道は、必ず忠信を以て主と為して、己に勝る者を以て之を輔く。然れども或ひは過ちを改むるに吝かなれば、則ち終に以て徳に入ること無くして、賢者も亦た未だ必ずしも善道を以て告ぐるを楽しまず。故に過ちては改むるに憚かること勿かれを以て終ふ」と。
[中村裕]

学而第一 09章

曽子曰く、「終はりを慎み遠きを追へば、民の徳厚きに帰せん」と。

終はりを慎むとは、喪して其の礼を盡すなり。遠きを追ふとは、祭りて其の誠を盡すなり。民の徳厚きに帰すとは、下民之に化せられ其の徳も亦た厚きに帰するを謂ふなり。蓋し終は人の忽せにし易き所なり。而して能く之を慎む。遠きは人の忘れ易き所なり。而して能く之を追ふ。厚きの道なり。故に此れを以て自ら為せば、則ち己の徳厚く、下民之に化せらるれば、則ち其の徳も亦た厚きに帰するなり。
[吉田]

学而第一 10章

子禽、子貢に問ひて曰く、「夫子の是の邦に至るや、必ず其の政を聞く。之を求めたるか。抑々之を与へたるか」と。

之与の与は、平声。下同じ。〇子禽は、姓は陳、名は亢。子貢は、姓は端木、名は賜。皆孔子の弟子。或ひと曰く、「亢は、子貢の弟子」と。未だ孰れか是なるを知らず。抑は、反語の辞。

子貢曰く、「夫子は温・良・恭・倹・譲、以て之を得たり。夫子の之を求むるや、其れ諸れ人の之を求むるに異なるか」と。

温は、和厚なり。良は、易直なり。恭は、荘敬なり。倹は、節制なり。譲は、謙遜なり。五者は、夫子の盛徳の光輝にして人に接する者なり。其諸は、語辞なり。人は、他人なり。言ふこころは、夫子未だ嘗て之に求めず。但だ其の徳容是くの如し。故に時君敬信して、自ら其の政を以て就きて之を問ふのみ。他人の必ず之を求めて而る後得るが若きに非ず。聖人の過化存神の妙、未だ窺測し易からず。然れども此に即きて観れば、則ち其の徳盛んに礼恭しくして外を願はざること、亦た見るべし。学者の当に潜心して勉学すべき所なり。〇謝氏の曰く、「学者は聖人の威儀の間を観れば、亦た以て徳に進むべし。子貢の若きは、亦た善く聖人を観ると謂ふべし。亦た善く徳行を言ふと謂ふべし。今聖人を去ること千五百年、此の五者を以て其の形容を想見すれば、尚ほ能く人をして興起せしむ。而るを況んや之に親炙する者に於いてをや」と。張敬夫の曰く、「夫子の是の邦に至るや必ず其の政を聞く。而れども未だ能く国を委ねて之に授くるに政を以てする者有らず。蓋し聖人の儀刑を見て之に告ぐるを楽しむ者は、秉彝好徳の良心なり。而れども私欲之を害し、是を以て終に用ふること能はざるのみ」と。
[石川]

学而第一 11章

子曰く、「父在せば、其の志を観、父没すれば、其の行ひを観る。三年父の道を改むること無きは、孝と謂ふべし」と。

行は、去声。〇父在せば、子自ら専らにすることを得ず。而れども志は則ち知るべし。父没して、然る後其の行ひ見るべし。故に此れを観れば以て其の人の善悪を知るに足る。然れども必ず能く三年父の道を改むること無ければ、乃ち其の孝を見る。然らざれば、則ち行ふ所善しと雖も、また孝と為すことを得ず。〇尹氏(注1)曰く、「其の道の如きは、終身改むること無しと雖も可なり。其の道に非ざるが如きは、何ぞ三年を待たん。然らば則ち三年改むること無きは、孝子の心忍びざる所有るが故なり」と。游氏曰く、「三年改むること無きは、亦た当に改むべくして以て未だ改めざるべき所に在る者を謂ふのみ」と。

注1 尹焞(1071ー1142)。北宋の儒者。程頤の門人。著作に『論語解』ほか。
[米村]
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