■『四書章句集注』書き下し

四書輪読も二巡目に入り、新しい試みとして『四書章句集注』の書き下し文を作成・公開することになりました。
以後、読書会の進捗に合わせて、少しずつ更新していきます。

■進捗
『大学章句』 序 ~ 伝十章
『論語集注』 論語序説 ~ 里仁第四 <更新中>

■読書会

※現在WebExないしZOOMにて読書会を開催しております。見学・参加のご希望はお問い合わせより受け付けております。

読書会では「経・史・子・集」および宋明儒、邦儒の著作の原典を読み込んでいきます。原典を読むには漢文や和文を自分で読み下した上で現代語訳するという作業が必要になるため、参加者には一定の準備が求められますが、それをこなすことによって原典に込められた著者の思想をより深く味わうことができるようになり、古典を読む「面白さ」も増していきます。予め決められた担当者(正会員)がそれぞれの担当部分(白文、くずし字和文など)の読み下しと現代語訳を行い、それに対して講師が適宜、指導・指摘を行います。担当なし・聴講のみのご参加(賛助会員)も可能です。
初めての方もぜひお気軽にご参加ください。学生・社会人不問。

ご参加のお申込み・お問合せは本サイト「お問い合わせ」または「youmeishoin@gmail.com」まで。


■進捗状況
平成31/令和元年度 平成30年度 平成29年度 平成28年度 平成27年度 平成26年度 
読了一覧

■土曜講座

新型コロナウイルス感染拡大に伴う緊急事態宣言発令に伴い、前期日程の開催は中止しました。
今後の開催については、感染動向を見極め、検討中です。決定し次第、本HPなどにて、告知いたします。
土曜講座では、儒教に関心を持ちつつも普段はなかなか触れる機会を持てない方や読書会に参加できない方を主な対象として、古典のエッセンスを日常的視点や現代的問題に引き付けて分かりやすく解説していきます。
予約制となっておりますので、ご参加をご希望の方は事前にお申込みください。読書会への参加の有無にかかわらず、どなたでもご参加いただけます。ご参加にあたっては読書会のような事前準備や専門知識は必要ありませんので、ぜひお気軽にお申込みください。
(延期)■第25回~第28回 土曜講座[2020前期]
シリーズ「王陽明からの手紙」/講師 大場一央 
題目:王陽明が弟子達とやりとりした手紙には、相手に応じて話題が変わったり、思想の切り口が微妙に変化したり、あるいは陽明自身の弱音や冗談などがあったりと、研究書がとりこぼした魅力がちりばめられています。
今回はいわゆる「陽明学」と大上段に構えた思想分析から少し離れて、弟子達と交わした手紙をゆっくりと読み返しながら、王陽明の思想が生活の現場でどのように生きてきたか味わっていきたいと思います。

第25回 「熟す」ということ
第26回  心の鏡・勇気について
第27回  泥沼と友
第28回  誠を立てる
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【ご案内を置かせていただきました】 五十音順
・亜東書店 https://www.ato-shoten.co.jp/
・内山書店 http://www.uchiyama-shoten.co.jp/
・東方書店 https://www.toho-shoten.co.jp/
・乃木神社 https://www.nogijinja.or.jp/
・山本書店 https://www.kenbunshuppan.com/

過去の土曜講座はこちら


   ご案内 2020前期
    東方書店
    乃木神社

■講演会

次回の講演会につきましては、詳細が決まり次第、ご案内いたします。
過去の開催状況はこちらか、大場一央プロフィールで確認できます。

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講演・講座・セミナー等のご依頼も随時受け付けております。
ご依頼の際は当サイト「お問合せ」または「youmeishoin@gmail.com」までご連絡ください。

■大場一央 新刊 好評発売中!



大場一央『心即理―王陽明前期思想の研究』汲古書院 2017
陽明学とは何か―王陽明が交わした対話全体を検討し、その思想内容をたぐりよせる!

【序章「陽明学」研究についてより】(抜粋)
陽明が体認の経路に言葉を用いたのははっきりしているのだから、その言葉によって語られた対話には、彼の工夫論の形式が存在しているはずであり、その中には、陽明が工夫を行う中で得られた実感を色濃く反映した、形式の中核をなす言葉が存在しているはずである。しかし、対話から形式だけを切り取った所で、陽明が実感した内容はそこに浮かび上がってはこない。くどいようだが、陽明が言葉に込めたのは実感であって抽象的意味ではないのである。天理や人欲、心や理という言葉にそれぞれ明確な意味が規定され、それらを組み上げた所に抽象的意味の建造物が出現する場合、言葉を探るだけでそこに抽象的意味の世界が開けてくるかもしれない。だが、言葉の存在が自己に向けるために使用されている場合、その言葉は偏に陽明自身の実感を成立根拠としているのであって、しかも陽明はそれを捨象して概念化していないのだから、どの言葉も陽明の実感へと向かう距離を示す標識に他ならないし、こうした言葉を使用している陽明の心には、彼の実感だけが想起されているのである。こうした場合は言葉に限らず、対話全体の中に彼の実感がまるごと投影されている可能性の方が極めて高いのだから、言葉を概念とそうではない言葉とで区別し、対話から引き剥がすことをせず、丁度「教条示龍場諸生」のような何の変哲もない文章に注目するような仕方で、対話全体の中から実感を探っていかねばならないのである。その中で形式は、対話全体の中で最も論理性の高い要素として、単発的な印象に堕することを防ぎつつ、対話を一貫した文脈の下に理解していくよすがとなる。
このように、陽明の実感が対話に色濃く反映されていることを心得ておくだけで、あるいは形式の理 解を超えた何ものかが見えてくるのかもしれない。私が採ろうとしているのはこうした至極単純な仕方である。

書籍紹介はこちら

心即理 ー王陽明前期思想の研究 [ 大場 一央 ]

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